
温暖な気候の景勝地として名高い蒲郡。三河湾国定公園に指定された沿岸の高台
で、その城郭風の建物は厳粛に佇まう。手入れの行き届いた日本庭園に囲まれ、目
の前に国指定の天然記念物、竹島を望む。視界いっぱいに広がる三河湾の絶景は、
竹島を始めとする緑に彩られた美しい島々が鮮やかな絵のように目を楽しませる。
一帯の景観美を統治する主のごとく、威風堂々とそびえるのが「蒲郡プリンスホテル」
である。
「蒲郡プリンスホテル」は、昭和9年(1934年)に創業した「蒲郡ホテル」を前身とする。外国人観光客を積極的に誘致するため、当時の鉄道省に設置された観光局が「国際観光ホテル建設計画」を発表。全国40の候補地の中から、横浜、雲仙、大津、蒲郡が選ばれた。登録有形文化財を作品に残す建築家・久野節により着工が進められ、完成したホテルは国際観光ホテル登録の第1号となった。
館内は、城郭風の外観からはおよそ想像がつかないアールデコ様式の内装が施されている。重厚な木の柱が印象的な吹き抜けのロビー。エレベーターの階層を示す指針板。深紅の絨毯を張り巡らせ、落ち着いた色調でまとめられた館内全体は、約70年を経た現在においても、創業当時の“モダン”と呼ばれた雰囲気をそのままにする。まるで時計の針を戻したかのような空間をたたえるホテルは、その歴史的価値が認められ、2007年11月30日には経済産業省の近代化産業遺産にも認定された。
館内は、城郭風の外観からはおよそ想像がつかないアールデコ様式の内装が施されている。重厚な木の柱が印象的な吹き抜けのロビー。エレベーターの階層を示す指針板。深紅の絨毯を張り巡らせ、落ち着いた色調でまとめられた館内全体は、約70年を経た現在においても、創業当時の“モダン”と呼ばれた雰囲気をそのままにする。まるで時計の針を戻したかのような空間をたたえるホテルは、その歴史的価値が認められ、2007年11月30日には経済産業省の近代化産業遺産にも認定された。
GHQ占領当時、米軍指揮官を囲んでのスタッフの
集合写真。当時は指揮官が変わるたびに米軍スタッフが
記念撮影を行っており、その際にはホテルスタッフも同時に撮影したという
集合写真。当時は指揮官が変わるたびに米軍スタッフが
記念撮影を行っており、その際にはホテルスタッフも同時に撮影したという
白い壁に緑の屋根が青空に映える。現在立ち入ることは
出来ないが、天守閣もありその威風堂々とした姿は
まさに“城郭”
出来ないが、天守閣もありその威風堂々とした姿は
まさに“城郭”
つつじの名所としても知られる庭園から竹島と三河湾を一望する
エレベーターの階層表示部分にも、和と洋が混在する
三河湾の海の幸などを提供するレストラン「メインダイニングルーム」。店内の窓からは三河湾を一望できる
菊池寛、川端康成、志賀直哉、三島由紀夫。文人たちは和と洋が主張し合う蒲郡の優美なミスマッチを愛した。小津安二郎の映画「彼岸花」や、近年ではドラマ「華麗なる一族」の撮影がここで行われた。昭和天皇皇后両陛下をはじめ、皇族たちがこのホテルにひとときの安らぎを求めに訪れた。客室数はわずか27室。すべての客に心を配るもてなし心にもホテルの誇りを垣間見ることができる。
華々しい歴史を持つ一方で、悲運の歴史も併せ持つ。太平洋戦争開戦による日本陸軍病院への提供、終戦後の米軍の接収、石油ショックとその後の大不況のあおりを受けての廃業。一時は蒲郡市に売却されるが、1987年、建物の外観を損ねないことを条件に「蒲郡プリンスホテル」として生まれ変わり、ついに営業を再開したのである。
華々しい歴史を持つ一方で、悲運の歴史も併せ持つ。太平洋戦争開戦による日本陸軍病院への提供、終戦後の米軍の接収、石油ショックとその後の大不況のあおりを受けての廃業。一時は蒲郡市に売却されるが、1987年、建物の外観を損ねないことを条件に「蒲郡プリンスホテル」として生まれ変わり、ついに営業を再開したのである。
レストランの窓からは、竹島など三河湾の絶景を眺めることができる
その姿に気高さを感じるのは、建築や景観の美しさだけではなく、幾度不遇に
見舞われても立ち上がり、蒲郡のシンボルであり続けたいと願う誇り高き精神を
見るからかもしれない。






















