模型作りに人生をかけた男の哲学− 金子辰也(ジオラマアーティスト)
[2009-06-25]
ジオラマ作りは意外にも20歳を過ぎてから幼少期からプラモデルを作っていたというが、ジオラマを作るようになったのはいつ頃からなのか? 「僕がいわゆるジオラマを初めて作ったのは20歳を過ぎてからです。小学生の時には空き地をジオラマにみたててモーターライズの戦車を走らせて遊んではいましたが、ちゃんとした情景作りは子どものころにはまだ未知のもので作っていた記憶はありません。プラモデルの製作自体も中学後半くらいからあまりやらなくなってましたね。プラモデルや資料は相変わらず買ってはいましたが。社会に出て大人になってから、趣味としてプラモデル作りを再開。そこで、何となくジオラマを作ったのが最初です」 「それで、実際に作ってみたら、思ったより上手く作れてしまって、それで2作目、3作目と次々に作るようになっていきました。ある時、完成した作品をモデラー集団「カンプ・グルッペ・ジーベン」(※2)が主催していた「東京AFVの会」と言うミリタリーモデラーの集まりに持っていったら、とても高く評価してもらえて。一緒に作品作りをしようと勧められました」 「そして、タミヤさんや模型専門誌の編集部に紹介され、そのまま作ったジオラマ作品がタミヤのカタログの見開きページや、いきなりホビージャパン誌100号記念の表紙に抜擢されるなどいっきにプロモデラーデビュー。その後もさまざまなジオラマ作品を作り続け、次々に各模型専門誌はもとよりポパイなどの一般誌や国内外のプラモデルメーカーなどから作品製作依頼がくるとともに、テレビやラジオへの出演やトークショー、企画展などへの作品貸し出し等々、今に至ります」 (※2)モデラー集団「カンプ・グルッペ・ジーベン」(ドイツ語で「第7戦闘集団」、通称「カンプ」)は伝説のミリタリーモデラーグループ。初作から彼らに認められたのだから、すでに飛びぬけた作品を作っていたということだろう。 ===金子氏によるジオラマ簡単説明=== 金子氏曰く、日本のプラモデル界においてジオラマという分野が広まり始めたのは、今からおよそ40年ほど前。初期のプラモデル、特に戦車に関してはモーターライズと呼ばれる走るものが主流であった。そんな中、タミヤは1/35スケールのモーターライズではないミリタリー模型としてドイツの戦車兵3体をかわきりに小型の軍用車両やオートバイなどを次々に発売。これはそのままMM(ミリタリーミニチュア)シリーズとして今日まで多くの製品を生み出していった。その過程でジオラマ作りや情景写真、人形改造など新たなる模型文化を生み出していったのである。そのジオラマ表現は今日、ミリタリー模型に限らず艦船模型や飛行機、クルマはもちろんの事、その他、恐竜からガンダムまで人気の高い作品表現スタイルとなった。 |
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