伸ばすのはシャツのシワのみならず
僕にとっての山岳エクストリームアイロニング。それはこの2度目の富士山で新たなステージに達したといえるだろう。そこに哲学などは一切存在しないし、そんなものは不要なのであった。
高いレベルの達成感や満足感。その気持ちをアイロン掛けを通して山に収め、そこで自然と一体になるような確かな感覚を、僕はこの2度目の富士山で得ることが出来た。その感覚は、そこでアイロンを掛けたらかなり気持ちがよかった、という一言に尽きる。ただそれだけである。山頂におけるエクストリームアイロニングのシンプルさ。それは、この富士山頂レベルでの山岳アイロニングでしか開花出来ないのかもしれない。
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(クリックで拡大)伸ばすのはシャツのシワのみならず
僕はチョモランマ(エベレスト)山頂でのエクストリームアイロニングを、このスポーツをする上での目標としている。富士山では少なからずそのイメージを持って臨むことが出来た。
僕は、なぜそうまでしてそこでアイロンを掛けるのか、という質問に対し、「そこにシワがあるから」と答える事がある。僕が書いたエクストリームアイロニングの本のタイトルが「そこにシワがあるから」だという事もあるが、ある意味その言葉は単なるリップサービスに過ぎない。シワなんてあってもなくても僕は続けるし、また気が向かなければ山頂に辿り着いたってアイロン掛けなどやらないのだ。
そもそも、山頂でのアイロン掛けで俺が伸ばしているのは衣類のシワだけではない。衣類を通して己の心のシワを伸ばすことに大きな意義があるのだ。富士山で、僕は自然とその考え方に行き着いた。能書きのまったく無い、予想以上に質素な精神世界。それをもっと体感したいから、これからもシンプルに、ただ単純にアイロン持って突っ走るだけである。その意味など、誰にも判って貰えなくたっていい。俺だって、まだ完全に辿り着いた訳ではないのだから。