さらば急行列車 青春は遠き彼方
[2010-03-15]
去り行く急行列車 このように全国の路線で主役を勤め、ピークには300種類以上あった急行列車ですが、昭和50年代以降は増収を狙う国鉄の方針で次々に特急に格上げされ、ダイヤ改正のたびに本数を減らし、とうとう最終局面を迎えることになりました。 大手私鉄は、国鉄幹線に対し補完あるいは対抗する都市間電車か近郊電車として成立したのが大半であるため、「急行」といえば停車駅の少ない通勤電車、つまり国鉄・JRでいう「快速」に相当するもので、料金不要の速達サービスとして当初から定着しています。ただ、蒸気鉄道としてスタートし、国有化を免れた地方幹線である東武鉄道と南海電鉄は様子が少し異なります。 南海は難波~和歌山市間が全通した明治36年から急行列車(蒸気運転)を走らせ、明治39年には「浪速」「和歌」という愛称も付けられました。1等室・喫茶室も設けられ、官設鉄道の急行と比べても遜色ないものでした。 やがて電化、乗客数の増加で他の私鉄同様の「急行電車」になっていきますが、東武では長い間「急行」は専用車両を充て急行料金を必要とする列車で、国鉄の急行と同じ位置づけでした(速達の通勤電車は「準急」でした)。その東武でも平成18年、半蔵門線との相互直通開始を期に有料の急行は特急に統合されました。 さて、昭和40~50年代、学生達の長旅といえば夜行の長距離急行が定番でした。飛行機は論外ですが、特急が大衆化された後も「ワイド周遊券」で乗車できる急行は、東北・北海道・九州などを巡る学生達にとって必須の移動手段でした。夏休みや春休みになると北海道連絡の「十和田」「八甲田」を筆頭に日本海縦貫線の「きたぐに」、北陸行き「能登」「越前」などは発車1時間以上前から行列ができていました。 乗るのはもちろん向かい合わせ固定の座席車。満席なので足を投げ出すこともままならず、硬い座席でろくに寝付けず長い夜を過ごしたものです。一般客がみんな特急に転移してしまう前は通路までぎっしりで、座席の下や網棚で寝そべっている連中もいました。長距離列車に乗ることがサバイバルだった昭和20~30年代に比べればはるかにマシですが、それでも結構きつい旅で、それだけに道中の期待感は大きく、着いたときにはそれなりの達成感がありました。 今はワイド周遊券もなくなり、激安海外旅行が巷に溢れ、青春の象徴として旅に出る若者自体も減っているとか。あの頃の青春は、急行列車の消滅とともに遠い彼方に去っていくのでしょうか。 >> 鉄道コラム「鉄学の道」 次週へつづく 鉄道コラム「鉄学の道」過去の記事 ・似てるようだけど違います、座席指定券と特急券 ・鉄ちゃんの憧れ、「かぶりつき」 ・日本人で良かった! 駅弁の楽しみ ・鉄道と軍隊、密接な関係 ・広告電車とラッピングトレイン … |
山本浩(やまもとひろし)。南海電気鉄道勤務。学生の頃から鉄道好きの鉄道会社員の目線で鉄道業界のあれこれを書き下ろす。自社の貴重でレアな話題も時折飛び出します?
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