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さらば急行列車 青春は遠き彼方

[2010-03-15]

鉄道コラム「鉄学の道」/毎週月曜更新

乗りつぶし率99%の鉄道会社員が 
書き下ろす鉄分たっぷりコラム。

自社の貴重でレアな話題も 
時折飛び出します? 



 3月13日のJRダイヤ改正で、上野~金沢間の特急「北陸」と急行「能登」が廃止になりました。「能登」の廃止で、JRの定期急行列車は大阪~新潟間の「きたぐに」と青森~札幌間の「はまなす」の夜行2往復だけになってしまいました。百年以上の歴史のある急行列車も、とうとう消滅の日が近づいたようです。

3月13日のダイヤ改正で廃止の急行「能登」 富山駅にて
3月13日のダイヤ改正で廃止の急行「能登」 富山駅にて(クリックで拡大)

 急行列車の歴史は明治27年の山陽鉄道に始まります。明治29年には官設鉄道の東海道本線にも急行が登場、鉄道国有化を経て全国の主要幹線で運転されるようになり、「特急」が全国に広がっていく1960年代まで各線区を代表する看板列車であり続けました。

 全盛期には東京~九州間のような長距離にも多数運転され、これらの長距離急行は1・2等寝台車や食堂車も連結した10両以上の長大編成でそれなりの風格を備えていました。

 昭和30年代からは電車・気動車の急行が現われ、昼行列車の主役を客車から奪っていきます。電車急行は東海道・山陽・東北・北陸線などを中心とする電化された最重要幹線を走るため長大編成が多く、ビュフェも連結されていましたが、気動車急行はローカル線の運行が多く食堂車やビュフェ車は製造されませんでした。そのかわり最低2両から1両単位で編成が組め、どの線区でも走れる気動車急行は重宝され、途中駅で分割・併合して複数の線区に乗り入れる列車や、1本で複数の目的を兼ねるためやたら大回りする列車など、様々な形態が生まれました。

寝台車・グリーン車を連結した夜行客車急行「越前」 昭和57年
寝台車・グリーン車を連結した夜行客車急行「越前」 昭和57年(クリックで拡大)

鉄学の道

山本浩(やまもとひろし)。南海電気鉄道勤務。学生の頃から鉄道好きの鉄道会社員の目線で鉄道業界のあれこれを書き下ろす。自社の貴重でレアな話題も時折飛び出します?

→  http://www.nankai.co.jp/

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