食堂車ノスタルジー
[2009-12-21]
鉄道コラム「鉄学の道」/毎週月曜更新 乗りつぶし率99%の鉄道会社員が 書き下ろす鉄分たっぷりコラム。 自社の貴重でレアな話題も 時折飛び出します? 移りゆく景色を楽しみつつ、テーブルに並んだ料理をいただき、グラスを傾ける。食堂車のこんな楽しみが大半の列車で味わえなくなってもうだいぶ経ちます(まあ、「宴会電車」は別としまして…)。 日本で最初の食堂車は明治32年に山陽鉄道で始まったということですが、その7年後の明治39年には、南海電鉄でも難波~和歌山市間の急行列車の1等車に食堂を設けています。当初は蒸気列車でしたが、全線電化により大正13年には4両固定編成の急行電車が走り始めました。この電車は和歌山市側先頭車に手小荷物室・特等室・食堂があり、日本初の「電車食堂車」となったのです。 「食堂」といっても正しくは「喫茶室」つまりビュフェですが、立席ではなく立派なテーブルがあったそうです。当時としては画期的な豪華電車でしたが、さらに高速・高性能の電車に跡を譲って昭和4年に廃止されました。それ以後、食堂車はほぼ国鉄の独占となりましたが、電車の食堂車が国鉄に登場するのは戦後、昭和33年の特急「こだま」のビュフェ(モハシ21、後のモハシ150形)ですから、南海の食堂付き電車は極め付きの存在だったと言えるでしょう。 食堂車は、登場後長い間、1・2等車の乗客向けの贅沢空間でした(これは南海でも同様です)。メニューもコース料理など庶民には縁遠い本格洋食が中心で、鉄道の大衆化で庶民の利用を前提に和食も提供する「和食堂車」が普及するのは昭和になってからです。その後、戦時中の中断期を経て、昭和30~40年代に食堂車は全盛期を迎えます。この頃の長距離輸送はまだ国鉄の特急・急行が主役で、長大編成の長距離優等列車には必ず食堂車が連結されていました。昭和35年にはビュフェでない本格的食堂車が特急電車(サシ151形)・特急気動車(キサシ80形)にも登場し、電車急行にも寿司や蕎麦を出すビュフェが連結されました。 |
山本浩(やまもとひろし)。南海電気鉄道勤務。学生の頃から鉄道好きの鉄道会社員の目線で鉄道業界のあれこれを書き下ろす。自社の貴重でレアな話題も時折飛び出します?
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