無の価値を見極めて成功を収めた "目利き" の半生 − 北原照久(おもちゃコレクター)
[2009-08-09]
借金から始まったコレクターへの道北原氏がこれだけのものを集められたのは相当の資産があってのことだと思っていた。だが、彼はそうではないと言う。 「うちの実家はスポーツ店でスキー具を売っていましたが、裕福というわけではありませんでした。僕は25歳でコレクションを始めて、37歳になるまで店を継いで経営していましたが、当時から、ものを集めて満足するだけでは終わりたくないとは思っていました。趣味を仕事にするために何かしようと思案していましたが、その頃はまだおもちゃの人気なんてなかったし、今みたいに人気になるとも思っていませんでした」 そんな彼にあるとき転機が訪れる。収集品を人に見せて喜んでもらうのが大好きだった彼は、知り合いの雑誌編集者などに見せているうちにコレクションが評判となり、西武百貨店でおもちゃ展を開くことになったのだ。 「2週間足らずで3万6000人が僕のコレクションを見にきたんですよ。そのときは無料で展示品を出したんですが、入場料が500円だったからざっと計算しても1800万円はデパートの利益になったわけです。自分のコレクションを展示するだけで、こんな多くの人が来て、商売になるんだと知って、本当に驚きました。そのとき作ったポスターも飛ぶように売れていた。スポーツ店でスキー具を売っているときは、なんでもかんでも値下げをしていましたから、値引きをしないでものが売れるなんて、なんて幸せな仕事だろうと思いましたね」 そして、37歳のときに親と兄弟を説得して独立。おもちゃの博物館を始めるため、1500万円の借金をして横浜山手の古い洋館を借りた。それが株式会社トーイズのスタートであり、現在のブリキのおもちゃ博物館だ。 「人脈もノウハウもお金もなくて、あったのはやる気と情熱だけ。その当時すでに、結婚していましたから、2階で生活をして、1階をショップと博物館にしていました。初めは妻にも手伝ってもらっていました。妻の理解がなければこのような人生は送れなかったでしょう。妻は『自分の好きなことはやるのは本当に大変だけど、ワクワク感を持って、生き生きやるのがいい』と言ってくれる女性です。どんなにお金になることでも好きなことじゃないと疲れてしまう。せっかくの人生なんだから楽しいことやりたいという気持ちは僕も妻も同じなんです」 独立した37歳から47歳までの10年間、彼は完全無休で働いたという。好きな映画もスキーも海も一度も行かずに、ただひたすらに働き続けた。 |
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